暗喩としての飲み物の温度

1976年春発売のアルバム「黄昏めもりい」の収録曲で、同年夏にシングルカットされた丸山圭子の「どうぞこのまま」には次のようなフレーズがあります。「うらはら」が私のボキャブラリーに加わったのはこの曲がきかっけでした。

 

♪<さよならは涙とうらはら さめたコーヒーのようなもの>(詞:丸山圭子)


飲み物の温度が暗喩的に使われるケースとしては、1975年1月発売の野口五郎「私鉄沿線」があります。

 

♪<ぼくの街でもう一度だけ 熱いコーヒー飲みませんか>(詞:山上路夫)


ペドロ&カプリシャス「別れの朝」は1971年10月のリリースです。

 

♪<別れの朝 ふたりは さめた紅茶のみほし>(詞:なかにし礼)


1981年のレコード大賞受賞曲は寺尾聰「ルビーの指環」でした。

 

♪<くもり硝子の向うは風の街 さめた紅茶が残ったテーブルで>(詞:松本隆)

 

上の4例とは異なり、逆説的な暗喩となっているのが松田聖子のアルバム曲「セイシェルの夕陽」です。

 

♪<私は熱い紅茶飲みながら なぜかしら涙ぐむ>(詞:松本隆)

 

「セイシェルの夕陽」の私とあなたは次のような関係です。

 

♪<離れてみてわかったのよ 大切な人は誰かって>

 

最近では、ゆずにそのものズバリ「冷めたコーヒー」というアルバム曲があります。「別れの朝」が最古がなのかどうか、1960年代にもありそうな気がしますが、まだ見つけていません。

 

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